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大正8年(1919年)
京友禅の染屋として先々代亀田富太郎が創業
小さな4畳ほどの間を借りて、商いを開始。戦争が始まり染料の生産さえ許されない厳しい時代が訪れていました。いつかきっと明るい世の中が訪れ、人々は明るい着物をまた着る。そんな時代にいつかなって欲しいという思いを込めて、赤や黄色などの明るい色の染料と炭を蔵の縁の下に置いて、戦争の時代を耐え忍びました。そして戦争が終わり、亀田富太郎の妻・ふさゑがその明るい染料を取り出し、これまでになかった明るく派手な着物を作りました。それらが京都の人々の間で着られる様になりました。
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昭和24年(1949年)
株式会社亀田富染工場として会社設立
着物の需要のあった時代では100人以上もの職人が染めに従事していました。また、手捺染の他にも機械捺染も行われていました。
しかしみなさんもご承知の通り着物人口が減るにつれて業務縮小を余儀なくされ、平成に入ってからは染めの仕事のうちの100%が洋服地となり、決められた柄を染める下請け、孫請けの仕事が主となっていました。
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平成13年(2001年)
蔵に眠る図案で染めた生地をアロハシャツに仕立てたところ、評判に
染め工場の蔵には、京友禅の図案が、5〜6千点も残されていました。これらの意匠をもう一度、世の中の人達に見てもらうことはできないかと考えていたところ、アロハシャツの起原が、日系移民が持ち込んだ着物をほどき開襟シャツに仕立てたのが始まりであることを知ります。蔵に眠る図案で染めた生地をアロハシャツに仕立てたのが、平成13年です。評判がよかったので、試作を繰り返し、素材、着心地、耐久性、などのデータを集め、商品としての改良を加えていきました。
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平成14年(2002年)7月
西大路五条の本店・工場の一角にPagong (パゴン)直営店をオープン